若草は大地に萌え春風は梅香を運び水鳥は湖面に遊ぶ

若草は大地に萌え春風は梅香を運び水鳥は湖面に遊ぶ。
悠々たる自然は四季を忘れず春まさにこの時となる。
人の世の因果は己の欲するところを忘れ、己の行う所のみ果実とする。
因果に応報あり、心正しく言葉正しく行い正しき者はその果として涅槃を得る。
永遠なる喜びこれを涅槃という。
人の世は幾多の悲しみと葛藤の中にうごめいている。
争いは絶えることなく、阿鼻叫喚の叫びは耳を覆うばかりである。
傷つき斃れ、恨みを残し、またこれを繰り返す。
人の計らいの行きつくところ正に地獄である。
如来の智慧と菩薩の誓願に心を致せよ。
そこに己の本心の安らぎがある。
己の本心とは、己の本尊である。
それは慈悲と智慧とまた方便を備えている。
苦しいこの世でますます光る明るい燈明である。
暗きこの世を照らす光である。
この本心の働きは仏性と呼ばれる。
赤き蓮華と白き蓮華、共に己の心に備わっている。
鋭利なる智慧もまた金剛杵として内具している。
静かに座して己の本心に聴け。そして如来の相続者としての己を見いだせ。
オン サンマヤ サトバン。
我はそれである。我は普賢薩埵である。
そこに人生の四苦八苦その他もろもろの障害を乗り越える道が開ける。
我 今 大日如来の智慧と方便に帰依し奉る。




東京例会の動画を限定配信しております

メールマガジン購読者様向けに、

令和8年2月8日(日)午前10時30分よりの東京例会
熊本本堂における、不動護摩供養(副住職)、理趣経法(住職)の動画を
限定公開いたしております。

詳しい内容や視聴方法につきましては、
2月8日 18時56分配信のメールマガジンをご覧ください。

あわせて住職の法話も収録しています。

なお、公開期間は2月11日22時までとなっております。
その後は閲覧できませんのでご注意くださいませ。




朝霜は陽光に溶け、暗き夜は朝日に明ける

朝霜は陽光に溶け、暗き夜は朝日に明ける
深き霧は風陣の内に消え、山河を明らかとする
人の世の苦しみは仏の慈悲によって癒され、消される
人の煩悩は仏の智慧によって涅槃の道が開ける
煩悩は悟りの果を産み、修行の資源となる
おおよそこの世にある全てのものは無常と無我と涅槃を示す
心あるものは己に心を留め、他に迷い出ることを防ぐ
遥か昔、釈尊は弟子に慎ましやかな食を嗜み静寂なる樹下に敷き藁を敷いて己に問うことを教えた
己とは何者か 己は何処からきて何処に至るのか
己の本質とは何か そのように問うことが瑜伽の基本である
修行は苦行ではない
この世のあらゆる苦しみから己を救い出す唯一の方法である
禅定これは大安楽の法門である
己のこの姿を仏の御姿として修行する
言葉に於いては己の内から出る言葉を仏の言葉として発する
この言霊は天然自然にあるもので仏に属する
須らく人間たる自我の中には真実はなく、己の存在の中に真実が宿る
己の真実とは無限である
己の自我は有限である
この二つの狭間の中に人は存在する
この無限なる存在である自己を己として感得する時、曼荼羅の世界が現れてくる
自我の妄執を離れ、本来の自己に回帰せよ
御仏の慈悲と方便に帰依し礼し奉る




山茶花の色は白 寒椿の色は赤

山茶花の色は白、寒椿の色は赤。
人は人なれ、花は花なれ。
その性の様々な在り様は異なる在り様を呈する。
物事の善悪 それも立場と状況で異なる。
不変なる真理は実は求めがたく知りがたい。
人は己の欲するところに於いてその真理なるを思う。
論理的に正しいと思われる概念を真理として立てる。
しかし、生活の上に於いては実感を伴う真実は様々に様相を展ずる。
そこに民族 宗教 などの対立が起こる。
人は争うことを求めることは善とは思わないが、必ず対立が起こる。
そこで不変なるものを語り、不変なるものを主張して争いに至る。
実はぎりぎりの真実とはそれぞれ異なることを認めることである。
異なるとは、自己の主張を他の主張とともに共存させることである。
戦争という最悪の調整ではなく観念と言語におけるやりとりでこの境界と接点を求める必要がある。
涙の中に幸福はなく、怒りの中に平和はなく、妥協の中に自由はない。
神の名のもとに語ろうとも、人権の平等において語ろうとも。
自己に許される自由は他にも甘受されねばならない。
これこそが現代思想の中核である。
このことに於いて我々は最低限の国際的安定社会を造ることができる。
真の自由は他の人々に自由を与えることであり、まさに皮膚の色における違いが人種の差別を生んだ悲劇を避ける。
そのことが近現代の課題である。
違いの中に尊さを感じる。
これこそが密教思想の中核である。
ここに、深く仏陀の心に礼し奉る。




初護摩祈祷の動画を限定配信しております

あけましておめでとうございます。

メールマガジン購読者様向けに、

令和8年1月1日(木)午前0時よりの熊本本堂における、
初護摩供養(副住職)、理趣経法(住職)の動画を
限定公開いたしております。

詳しい内容や視聴方法につきましては、
1月1日 18時35分配信のメールマガジンをご覧ください。

あわせて住職の法話も収録しています。

なお、公開期間は1月4日21時までとなっております。
その後は閲覧できませんのでご注意くださいませ。
 



メールマガジン購読中の皆様へ

ホームページリニューアルに伴い、
メールマガジンの発信元が、
ドメイン「@sldn.net」から「@shingonji.net」に変更になりました。

これまでメールマガジン登録の方につきましては、
全員新しいシステムに配信設定済みです。

ただし、
知らない相手やパソコンからのメールの受取拒否設定などにより、
メールマガジンが届かない場合がございます。

下記ページをご参考になり、
「*@shingonji.net」からのメールを受け取る設定に変更してください。
https://shingonji.net/aboutwhitelist/




ホームページをリニューアルしました

このたび、真言寺生活改善の会のホームページを、真言寺ホームページとしてリニューアルいたしました。

これまでの主なコンテンツを調整し、スマホ等でも、より読みやすいように心がけました。

令和7年まで、毎月郵送していたDMに変えて、このホームページやメールマガジンでのメッセージ配信を考えております。




真言寺米について

令和7年の状況

あぐり倶楽部では、以前は、毎年4~5月ごろ、お米の販売予定価格を決定し、ご予約受付を開始いたしておりました。 しかしながら、お米の価格が高騰し、投機的な買い付け、政府備蓄米の放出量、農家の作付け面積の増減など、予想が困難な要因が多く、ご予約価格が決められない状況です。

そこで、令和7年は、皆様にご心配をおかけしないように、「真言寺あぐり米」のご注文では、価格を「時価」、数量のみをご予約いただきました。

その後10月上旬に契約農家さまと話し合いのうえ価格を決定し、ご予約いただいた方へご連絡をさしあげたうえで全ご予約分を出荷いたしました。

令和8年米のご予約について

例年「真言寺だより」6月号に同封のFAX注文書等でのご予約受付をいたしておりましたが、令和8年より郵送での通信ができない可能性があります。

ご予約受付方法につきましては、決まり次第(4月ごろになると思います)、このホームページやあぐり倶楽部の注文サイトでのアナウンスをいたします。

皆様にはお手数をおかけしますが、何卒ご理解くださいませ。 どうぞよろしくお願いいたします。




シューベルトについて

皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日はシューベルトについてお話しさせていただきます。 先日 横堀明美さんのコンサートがありました。
5月27日は、お不動様縁日と重なりますので、皆様にお知らせすることなく、
私一人東京でお不動様を祈り、夕方にコンサートに行きました。

横堀さんの音を聴かせて頂いて、シューベルトの意図した音が出ていたと感じることが出来ましたのでここに私の考えるシューベルトのお話しを書かせていただきます。

シューベルトの生きた時代、時代は大きく動いており、ベートーヴェンも生きていました。
楽器はバロック音楽の花形バイオリンからピアノに移り始めており、
フランス革命以降は王侯貴族や教会のための音楽ではなく、市民階級のための音楽が生まれました。
食事が美味しく感じられる素敵な音楽ではない、教会の荘厳・霊的な威厳を感じさせる音楽以外の音楽です。
コンサートホールが建てられて、オーケストラとピアノが後にロマン派の音楽を代表するようになりました。

ベートーヴェンは交響曲を作り、いまも年末の第九は日本でこよなく愛されております。
ベートーヴェンの方向性は聖なるものを「労働と市民」として、それを「希望」として作曲したのだと私は考えております。第九を聴いて自殺を思いとどまった話しは数多くあります。

それに対してシューベルトはあまり評価されませんでした。
日本でもシューベルトの死因が、あまりにもセンセーショナル過ぎて話題にしたくないという傾向があります。
難しい、重いといった感想でしょうか。

しかしながら人間の実存、絶対的な孤独に向き合った音楽の救いはシューベルトやショパンにあったと考えております。
ショパンも同じものに向き合っていたと考えております。

二人とも「教会の権威から離れた」バッハの後継者であり、日常の中の聖なるものを見つめていたと思えるのです。
シューベルトはリートを確立させました。
リート(芸術歌曲)は人々の中に深く浸透し、民族を自覚させ、後々の民族独立運動の「根本的な力として働いた」ことを感じる人は少ないのではないでしょうか。

シューベルトのピアノの音は叩く一音が蓮華となると考えます。
語弊があるなら、「命」あるいは「道」でしょうか。
その音を出せる人は、伝統的なヨーロッパのピアノ音楽に精通し、教会音楽を理解して、家庭の優しさを感じ、コンサートピアノではない音を出せる人だろうと思うのです。
シューベルトの音楽には魔王もいます。
苦しみもありますが、その中から「命」「聖なるもの」を紡ぎ出していると考えます。
それが世界の民族のそれぞれのリートに変換されたと思われるのです。

話しは変わりますが、例えば、もしもシューベルトが、輪廻転生したとしたら、自分が何故、政治的な民族運動に巻き込まれるのか本人も解らないかもしれません。

また例えば、輪廻転生という枠で考えるなら、ショパンはまた音楽家となって、華麗なる技法を研究されているかもしれませんね。

訳の分からない文章で申し訳なく、キリスト教の方々には失礼と思いますが、例え話しです。

コンサートで扱われた「アルペジオーネソナタ」イ短調D.821もシューベルトの音楽性を端的に現していました。
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の名誉主席チェロ奏者のフランティック・ホスト氏の卓越した技量と川村よしみさんのチェコへの理解から私はプラハの春を思い出してしまいました。
聞き方によっては、古い明治の日本の歌曲の希望と透明感を感じられる演奏でした。

また、高度な演奏であるにもかかわらず、明治の学校の教室の「一つ置かれているオルガン」から歌われる子供たちの天使のような歌声と笑い声を彷彿とさせるのです。

そうなのです「荒城の月」も「花」も「故郷」も明治の学校の洋楽は、シューベルトの音楽性から出発していると感じてしまうのです。
明治の学校音楽の響は日本の「自然を仏の現れ」として感じていた日本人の感性が見事に表現されていると思うのです。

戦後はベートーヴェンに代表されるように聖なる労働です。
戦争で亡くなった方々のために働き続けた人々がいたのです。
今その聖なる労働も消えていく流れにあります。
横堀さんのシューベルトをもっと聴いてもらえるとよいですね




冬味噌ができました

真言寺古式味噌ができました。

ここ数年、浅めの出来上がりでの出荷で、薄い色のお味噌でしたが、
今年の樽は、久々に赤く熟成して食べごろの状態に仕上がりました。

古式味噌ならではの、濃厚な味わいです。

※熟成を抑えるには、冷暗所で保管してください。

(2021年11月の記事です)