真言寺通信

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良く整えられた己を依る辺として生きる。

良く整えられた己を依る辺として生きる。何物にも犯されない豊かな知性こそ己を守るもの、豊かな感性こそダルマを映す鏡。仏の道はその中にある。己の行いにこそ涅槃の道がある。悪因悪果、善因善果、善縁を積み重ねて涅槃に至る。己の善を求めて修学し、善を...
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人は燃え盛る火の中を逃げ惑うかのごとき人生を送る。

人は燃え盛る火の中を逃げ惑うかのごとき人生を送る。不確かさとわずかな希望と深い絶望の中で日々を過ごす。この身は孤独と絶望と満たされぬ思いの源。この身の重き事、身を支えるに足を踏ん張り歯を食い縛り、人生の細き道を歩く。生の終わりにその死が来る...
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仏陀の道は絶えず。

仏陀の道は絶えず。祖祖の川として流れ来る。釈迦牟尼仏の遺言に自燈明、法燈明の二法がある。実に八万四千の法門これあるはひとえにこの遺言のゆえである。如是我聞の四文字は仏弟子の覚悟と知恵の言葉である。行者の知恵とそれに映し出される仏陀の法がここ...
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己の霊性と知性を信じ、

己の霊性と知性を信じ、思索と瞑想の時を過ごす。如何なる障害も、天与に与えられた人の知性はこれを超え得ると信じて生きる。彼は仏陀の弟子である。仏の知性と同じものを我は持つと深く信じて修行する、彼は仏の弟子である。燃えるような求道心を持ち、輝く...
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豊穣の大地によき種を播き、

豊穣の大地によき種を播き、よく育て、よき実をつける。悪を止め、善を行い、人々の安楽を願う。実に徳ある生活に勤しむ人はよき種をまく人である。如何なる現象もその原因なくして起こることはない。阿頼耶識の大地に撒いた種が萌芽したものである。良き農夫...
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悪業を止め、悪縁を離れ、

悪業を止め、悪縁を離れ、善業を修め、善縁を求める。これが修道である。およそ人は己の行いの因果の道理に疎く、悪縁を断たず、悪果の実るときに涙に明け暮れる。精進せよ。己の心は清らかな思いで充ちているか。己は和言を常としているか。行いは粗暴でない...
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日々たゆまぬ精進を重ね、

日々たゆまぬ精進を重ね、熱き祈りを捧げ、人々に優しく、天地と共に深き呼吸をして、己の今をここに生きる。彼の姿は塵にまみれ土に汚れているが、確かに道の人である。もくもくと鍬を振り下ろし、鎌で草を刈る、ただの農夫と見誤るが確かに道の人である。黄...
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人格を磨く事に喜びを見出し、

人格を磨く事に喜びを見出し、自戒する事に心を定め、深く思索することを常の行いとする。彼を人は賢者と呼ぶ。世界の道理と真理は変わらず、ただ人の理解の何たるかが運命を紡ぎだす。偏と見を離れ中道に己を見出し、善縁果報を得る。縁起は生起の法あり滅の...
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貴方に希望の光が見えますように、

貴方に希望の光が見えますように、人々の心が満たされますように、心が癒されますように。新春、明けましておめでとうございます。盲目な人々は己の行く道に迷い、天を仰いで嘆く。何者か、私の行く手を阻むと。因果必然の道理あり、縁をつないで世界は回る。...
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文化の多様性と産業の多様性こそが

文化の多様性と産業の多様性こそが人類の繁栄とその社会の活力を生む。この多様性とまた高い倫理における統一性こそが人類に望まれることである。自然界は実にこのことを素直に表現している。還元論的思考でなく、システム論としてのアプローチ、構造的理解、...