真言寺通信

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生きることは常に葛藤に満ちている。

生きることは常に葛藤に満ちている。しかしこれを除いて時は過ぎゆかない、多くの涙と困惑の中に人生はある。仏との廻り逢いは人の苦しみと混乱の中で出会う光明である。夏枯れの木々に雨が降り注ぐように、凍える冬に暖炉の明かりがその手を照らすように、仏...
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人間であるがゆえに人は己の思考に縛られ、

人間であるがゆえに人は己の思考に縛られ、己の言葉に支配される。考えると言う事は最大の武器であるが、又己を傷つける刃でもある。より整えられた観念は己を自由にして喜びをもたらす。一方で混乱した観念は己をいともたやすく破壊へと導く。複雑に思える人...
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さて今日の高度情報化社会、

さて今日の高度情報化社会、高エネルギー社会においては、これをコントロールする方法を誤ると個人の人格はもとより地球生態系の秩序さえいとも簡単に壊しかねない状況にあります。情報ツールとしてのパソコンやスマートフォンは常に多大な情報を与え続け、こ...
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思考の極みは普遍を求める事、

思考の極みは普遍を求める事、行動の規範は共同の福祉を実現する事である。人は差別化の中で己を主張しているがその前提には自我の同一性が必要となる。共に社会を形成している自覚が必要である。人は孤独である、常に不安である。この世に生まれた時から分離...
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人は生まれた時に

人は生まれた時に既に死ぬ事が運命づけられている。人は死す存在である。この事は既に多くの物語にも、又事宗教においても最も重要なテーマとして取り扱われてきた。逃れ得ざる運命の絆、そこに歴史を創る力が宿っている。さればこそ後に残す子孫に後の世に文...
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人生は自己の選択そのものである。

人生は自己の選択そのものである。人生は終わりが在るものである。存在は因果律に支配されている。物事を洞察する時得る答えである。儚き朝露の如く消えゆく人の命、夢の如く去りゆく人生、幻に幻を重ね合わせるがごとき人生の事柄、人が決め得る事には確かな...
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物事は様々な条件の元に成立している共に

物事は様々な条件の元に成立していると共に様々な意味を含んで存在している。人は己の関わり方においてそれを捕え意味を付加して、それを物事の存在意義であると認識する。己の存在意義においても、それは客観的事実にもとづいて判断していると思っているのだ...
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命を繋ぐと言う事は、

命を繋ぐと言う事は、命に囲まれて生きる事、命を奪いあう事、与えあう事。生きると言う事は、様々葛藤に出会う事。真実を見ることは、己の都合を離れて観察の目を養い、たとえ辛くともよく耐え忍び、己の心を平静に保ち悟りによる安心と平安に心を向ける。そ...
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おおよそ人の関心事は、

おおよそ人の関心事は、現実として認識される。人の数ほど認識は様々な様相を呈する。それは個々人の人生の意味であり、譲れぬ価値だったりする。ここで問題なのは、それは真実にもとずく意味や価値ではなくとも既に存在する歴然とした存在意義なのである。現...
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人間の観念は

人間の観念は時代を経てさまざまに累積され文化を構成し、又発展してきた。宗教や芸術のみならす、政治や経済等々にも及ぶ。人間は観念を生みだして、又それに縛られる。それゆえ争いを正当化して歴史に爪痕を深く刻む。観念は言語として人々の記憶に残され、...