真言寺通信

真言寺通信

不幸にして己の知性と感覚に狂いが生じている場合は、

不幸にして己の知性と感覚に狂いが生じている場合は、自ら改める他術がない。人は己の知性と感覚を点検して日々過さなくてはならない。より深い理解と洞察が困難を解決へと導き、深い感性が世間に対しての共感を生む。人は自らの行いにおいて自らを築くのであ...
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人は己の行いにおいて己を縛り、

人は己の行いにおいて己を縛り、己の考えに基づいて世界を語る。己の行いが己の人生をつくる。己の考えが己の世界を決定する。いかなる仇も己の行いの果実であり、偶然に起きることではない。己の行いを省みて己の行いを正す。世界に対して不満多いときは先ず...
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己をよく知る者は

己をよく知る者は己に迷わず。行いの何たるかを悟る者は悪果の報いを避ける。人生の何たるかに思いをはせる人は人の言動に左右されず、ただ真理を希求する。人の面目は真の人たること、天然たる己に出会うこと、心の喧騒を避けて己を見つめよ。仏の道は己を悟...
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思いを今日の生命にいたせば

観音堂の紫陽花も色を付け始めました。今年も御堂では蛍の柔らかな明かりが心を和ませてくれます。本堂ではつつじの花が開いて彩を添えています。自然の巡りの豊かさは人の思いをはるかに超えて果てしなく続いています。思いを今日の生命にいたせば、何もかも...
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自然は一時も待つことなくうごめき、

寺の芍薬も花を終わりました。今年も華麗な花をつけたのですが、震災の影響で花をめでる余裕が皆なかったので、あまり目につかなかったのではと思います。毎朝騒々しいほど小鳥のさえずりが聞こえます。麦ももう色好き始めています。自然は一時も待つことなく...
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人はいかにして争いを避けて共存の道を選べるか。

人はいかにして争いを避けて共存の道を選べるか。それは常に新しく古くからの人類における命題である。人は群れをなす生き物である。群れの恩恵において命を繋ぐ生き物である。常に他との関わり合いを前提条件とし個々の人は生きている。この関係をよりよくす...
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人間の行動は、

人間の行動は、過去に於ける経験則に縛られ現在の課題に答えを求められる。実に現在存在する社会制度や文化は過去の観念の幻影である。今遭遇する新たな問題は今この時の実存のうめきであり、過去の課題ではない。生きていると言う事は現在的問題であり、過去...
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汝が衣は汝が想念と語りし言葉よりなる。

汝が衣は汝が想念と語りし言葉よりなる。汝の道はその行いの続く処、出会うもの事は己の影、自他の垣根は己の自我の幻想、独り寝は誰も許さず、共に出る息も吸う息も天地の呼吸、眼を閉じて世界を語るもの多し、耳を塞いで音を奏でる者幾多、恥を覚えず善の生...
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生きることは常に葛藤に満ちている。

生きることは常に葛藤に満ちている。しかしこれを除いて時は過ぎゆかない、多くの涙と困惑の中に人生はある。仏との廻り逢いは人の苦しみと混乱の中で出会う光明である。夏枯れの木々に雨が降り注ぐように、凍える冬に暖炉の明かりがその手を照らすように、仏...
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人間であるがゆえに人は己の思考に縛られ、

人間であるがゆえに人は己の思考に縛られ、己の言葉に支配される。考えると言う事は最大の武器であるが、又己を傷つける刃でもある。より整えられた観念は己を自由にして喜びをもたらす。一方で混乱した観念は己をいともたやすく破壊へと導く。複雑に思える人...